ビタミンCのブログ

ブロマガから移ってきました

最近出たアメリカ系歴史や経済の本を読んでみなかった

アメリカ人が書いて、ここ数年のうちに日本語に翻訳された世界史や経済の本をアマゾンでチェックしてみた。すると、どれも実に適当な議論をしているようで腹が立った。一冊も読んでいないのだけど。

最近はアマゾンのレビューが充実しているので、当該の本を読まなくてもけっこう内容がわかるし、ちゃんと批評もしてくれているのでいい点も悪い点もわかる。なので、まなくてもその内容がかなりの程度わかる気がする。

いや、本なんてまないと何もわかんないよ、という人は、いい本を読んでいるのだと思う。とくに古典なんかは読む人によって受け取り方が全然違ってくるので、まないとわからない。が、最近出た本というのは古典に較べて内容が薄いし議論が一辺倒なので、まなくてもある程度わかるのだ。いや、最近出た本にも古典レベルの内容のがあるだろ、という人もいるかもしれないが、そんなことは百、いや千に一つレベルでしかない。

と、言い訳を書いたところで、まったく読んでいない本の感想を書いていこう。

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『国家はなぜ衰退するのか: 権力・繁栄・貧困の起源』ダロン アセモグル& ジェイムズ A ロビンソン

これ、国家が繁栄するには経済体制が重要という議論を展開している本。「収奪的制度」が選択されている国では経済成長が阻害されて衰退し、「包括的制度」が選択されている国では成長するということ。まあ、これは言葉の定義次第でいくらでもそういうことが言えるだろうし、そう言うこと自体は悪いことではない。

けれども、こうした議論は現代においてのみ当てはまるもので、現代以前には当てはまらない。というのも、近代以前はどこも「収奪的制度」だったわけで、例外は江戸時代の日本くらい。もっとも、本書は江戸時代を「包括的制度」ではなく「収奪的制度」だったとしているらしいが、これは土地に課された税金についてのみ言えること。実際、商業は江戸時代には世界のほかのどの国より栄えていた。

まあそれはいい。そもそも、この本の目的は、「今日の貧富の差はどこに起因しているのか」ということを解き明かすことにあるらしい。だが、上記の議論ではこの問題に半分も応えることはまずできない。歴史的な見地が欠けているからだ。

西洋の元植民地が貧しいのは先進国に簒奪されたからであり、本来の生産能力を奪われて西洋の求める産物のみを生産するように経済が作られたからだ。このくらいのことは誰でも知っていることなので、これをわざわざ無視して議論をするのは一種のプロパンダと言っていいレベルだと思う。おまえらはどんだけ自分らがしたことの罪を認めたがらないんだよ。


が、こういう議論をしている本はこれだけではない。

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エイミー・チュアの最強国の条件』では、歴史上の最強国家がどれも寛容であり、寛容こそが繁栄の条件であったと議論している。筆者が例に出すのはペルシャ、ローマ、唐、モンゴル帝国、そしてアメリカである。アメリカっていうのが出てくる時点でもううさんくさい。

アメリカが最強なのは経済的繁栄を元にした軍事力が背景にあるのであって、寛容だったからなわけがない。まあ、他国からの亡命者を受け入れたりはしているが、それが繁栄の十分条件ではない。ローマにしても最強だったのは軍事力があったからで、やっていたことは略奪と収奪だった。

まあ、世界史上の大国が寛容だったというのはそのとおりかもしれないが、それは原因と結果を取り違えているとしか思えない。ローマでは新しい植民地は必ず課税された。こんなの誰でも調べれば分かること。

世界史上でほんとーに寛容だったのはいくつかのイスラム系の帝国だが、それについてはあまり触れていないようだ。ムスリムの帝国が寛容だったとかいうと政治的にアレなんだろう。つまり、この本自体が政治的なもので、経済に関するものではない。


で、レビューにこういうのがあった。

著者の日本に向ける眼差しは寛容とは程遠い、第二大戦前、戦中に連合国がバラまいたプロパガンダから一歩もでていない。 日本は世界制服を企んだ、邪悪な人種差別主義の帝国だそうである、とって付けたように台湾統治は恩情、寛容をしめしたと多少は評価しているが、朝鮮統治にかんしては戦後、韓国の主張する、史上最悪の植民地の丸写しである。 著者は中国系アメリカ人で彼女の日本に対する認識はまさに第二次大戦の戦勝国の独善と中国人の日本に対する憎悪から非常に偏っている。

はい、こういうところで著者の本性というのはモロに出る。アメリカ系の学者の書物というのは、往々にしてプロパガンダが目的になっている。これはその胸糞悪いいい例だ。


が、例はこれだけではない。


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ニーアル ファーガソン『劣化国家』

これは西欧の衰退の原因を探ろうとする本。これもレビューを見る限り、西欧が一時的に豊かになれたのは植民地政策によるものだという歴史的視点が欠けている。これもアメリカ人が書いたものだが、アメリカでは植民地経営の歴史とか教えないんだろうか? 南米ではこれすごいスタンダードな話題なんだが。


レビューにはこうある。

西欧の衰退と新興国の台頭という世界経済の大きなトレンド変化を制度論、公的債務、複雑過ぎる金融制度、法律家の支配、市民社会の衰退等の視点から分析している典型的な西欧の悲観論です。

言わずもがななんだけど、制度が原因じゃないよね。日米や、植民地として簒奪されてきた国が相対的に経済的な地位を高めたから、西欧の経済的な優位性が下がってきたというだけ。


「民主的な制度は全て自分たちが作ったのに、なぜ衰退期に入ったのかという戸惑い」が書かれているみたいなんだけど、こういう意見、すごい典型的なんだよね、欧米人に。「民主主義国家なのになんで衰退するんだ」とか「中国は民主主義じゃないのになんで経済成長するんだ」とか。どー考えても民主主義と経済成長は関係ないだろ。アメリカ人はとくに「民主主義は正義。これですべてに勝つる」みたいに考えていてマジで気持ち悪い。

が、気持ち悪いのはこれだけではない。

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上と同じ著者による『文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因』では、衰退する前の200年間西洋が世界を支配することになった6つの理由を書いているらしい。で、その理由がお笑い。

「苛烈な競争心」「科学の発明とそれを主義としたこと」「所有権に基づく選挙で選ばれた政府を持ったこと」「近代医学の発達」「消費社会の形成と生活水準の向上」「プロテスタンティズムによる勤勉と貯蓄」

だって。くっそ笑える。おいおい植民地支配はどこに行ったんだ? いいか? 西洋が世界を支配したのは、古代ローマに習って世界に植民し、現地に国家機構と市場経済をインストールして現地民を半ば奴隷としたこと。また、本国で生活必需品の大量生産を行い、それを植民地に売って大儲けしたこと。さらにその経済活動を支える資本主義があったこと。この3つなの。この著者があげる6つのどれも違う。どうやったらこんな見当違いのことを議論できるんだ?


実際アマゾンのレビューでも、

西洋が覇権をとれた6つの真因というが、6つ全て説得力がなく、無理やり感があった。情報も整理されていなく、非常に読みにくかった。この人の授業を聞いていてハーバードの学生は大丈夫?? こういう本を読むと、日本の学者の方がよほど、きちんとしているし、誠実に学問に取り組んでいる気がします

とか、

このような世界全体を対象とした書なのでやむを得ないことだが、決して厳密な史料の精読に基づいて西洋が優位性を確立する過程が論証がなされているわけではない。あくまでも著者の歴史思想を知るための本である。筆者には、ところどころに垣間見える欧米寄りの視点が気に食わなかった。ヒトラースターリンが大量虐殺を行ったことを批判しながら、アメリカの原爆投下が大量虐殺であった点には全く触れず、それに続いた核兵器開発が戦争の抑止につながった点を強調している(377−379頁)のには、気分が悪くなった。

と書かれている。最後の点、まあそうだよね。こういう中身のない本を書くアメリカの学者はみんなこういうタイプ。つまり人種差別主義者にして西欧優位思想の持ち主。

だが、こういうのはこいつだけではない。

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J・ダイヤモンドの『文明崩壊』では、これまで著作で彼が隠してきた(それでも見え隠れしてきたのだけど)人種差別的思想がモロに全開になっている。

あるレビューでは、ここで論じられている江戸時代についての記述の誤りについて逐一指摘して、こうつぶやく

日本に関する部分は少ししかないが、その中でもこれだけ間違いやおかしい部分があると、にわか知識で書いたと思わざるをえない。そうなると本書の他の箇所や全体的な信憑性は疑わしい。全編を通して、どうもおかしい記述や推測・憶測が多くて首をかしげるところがある。

はい、「にわか知識で日本や中国について適当なことを言いたがるアメリカの学者はみな人種差別主義者である」の法則発動の予感がするよね。


レビューには続けてなんとこうある。


それと本文中に頻繁に出てくる、人種差別的な表現や悪趣味な皮肉、自民族中心的な異文化軽視・偏見には辟易させられた。

長々と中国からの外来動物と植物による生態系の破壊を述べた後に「中国に溢れるほどの個体数が存在し、生態系と経済に大きな影響を及ぼしつつ、諸外国へますます数多く輸出されている種は、ホモ・サピエンス、つまり人間だ」と中国人は害虫と同列扱い。

その反面オーストラリアの章では白人による外来種の持ち込みによる生態系の破壊と環境破壊には素朴な望郷心が結果として悪影響になってしまったような同情的で擁護するような記述なのは呆れる。

そもそも章のタイトルが「搾取されるオーストラリア」である。白人による環境破壊はまるで日本、韓国、台湾などの企業がオーストラリアの資源を搾取していることが原因かのような記述なのだ。

特にオーストラリアと日本の間の貿易に対する記述では「経済発展も工業化も遅れた交渉に不慣れな第三国の植民地が先進国と取引する場合」に似ていて「オーストラリアは貴重な資源を気前よく差し出しながら、その代価をほとんど受け取ってないように見える」とまるで日本がかつての欧米が植民地にした悪質な搾取をしているような物言いである。

その上で、先進国の中でも森林面積の割合の少ないオーストラリアが、先進国の中でも森林面積の多い日本に木材を輸出している事は皮肉であると記述しているが、ここでもまた数値を「割合」で記述し事実の逆の記述をしている。

実際のオーストラリアの森林面積は日本よりもはるかに多い1億6440万ヘクタールと、前出の中国に匹敵する森林面積を保有していることがわかる。

これもう決定的な指摘なので長々と引用させてもらった。すごいよね。これだけ日本に敵意をむき出しにして、オーストラリアが搾取されていると言うとか。おまえはどんだけ白人優位史観で生きているんだ。

もうね、これだけ世界的に有名な学者がこういう人間なのかと思うとほんとにめまいがする。



しかもこいつらみんなアメリカのいい大学で教えてたりするんだよ? 経済や社会学学びにアメリカに行くとか絶対やめた方がいいってことハッキリわかんだね。

上のレビューでもあったけど、ほんと日本の学者のほうが良心的だしちゃんと調べてもの書くと思うわ。アメリカ人は英語で書くと世界中にやくされるからなあ。で、それが影響力を持ってしまう。これ、学術書の体裁で書かれているから、ナイーブな人はそこにしこまれているプロパガンダに簡単にやられてしまうと思う。真面目な人ほど人の言うこと真に受けるからね。


ほんとに、こういう最近のアメリカ人が書いた本を読むよりも、日本人が50年前に書いた『合理主義 ヨーロッパと日本』とかを読むほうがずっとベンキョウになると思う

ここでは、西洋が覇権をとった理由についてこう書かれている。レビューから引用する。

「イギリスの木綿その他の商品がはいる前には、現在から見るとひじょうに美術的な価値ある織物を織って、身にまとっていました。綿を畑から取り、糸につむぎ、そして織っていたのです。染料も自分たちの手でつくった。

しかし、機械製品は多量生産ですから、まず第一に、手工業よりもはるかに安価です。

第二に、均質であって、同じ程度のものが、同じようにできています。

したがって、いったんその生活の中へ機械製品が入ってくると、自分たちで作っていた(中略-)ような織物は、完全に駆逐され、崩壊していくことになります。

その結果どういうことになるか。

現地の人々は、原料である綿は自分でつくっている。しかし、もはやそれを自分たちで織って着るわけにはいかなくなった。それは売らねばならない。そしてこんどは、織物としてできあがったものを買わなければならないことになった。この優越したヨーロッパの方法を自分のものにしない限り、この状況は長く続きます。織る人、染める人がなくなり、技術も伝達されなくなりました。

こうして、原料は買ってもらわなくてはならない。製品は売ってもらわなくてはならない。

そうでなければ日常生活を営んでいくことさえできない。これが植民地の人々の追い込まれた姿です」

この段落だけで上にあげた数冊の本の何倍もの価値があると思う。ま、現代のアメリカ人なんかに植民地経営時代の現地のことなんかわかるはずないしな。

しかし、昔ハンチントンの『文明の衝突』が出てきたときにかなり叩かれていたけれど、いま思うとあれは全然まともだよなあ。あ、彼の弟子のフクヤマはクズだったけど。

こうしたアメリカの学者たちがデタラメなのは、欧米ではたいして勉強してなくても、とにかく自分の主張を言うことが賞賛されるからなんだよな。欧米では日本みたいに、「その研究はどこが新しいの?」みたいな質問はまずされない。それはいいことでもあるんだけど、行き過ぎるとまずい。

まあでも、上のようなダメな研究が幅を利かすのは、それ以外の要因があるだろうけどね。言っちゃうと、こういうのは研究の皮をかぶったプロパガンダにすぎない。で、アメリカ全体にそういうのを喜んで世界に発信しようと言う機運があるんだと思う。

こういう、自分に都合のいいように真実を隠して、嘘の学説を流布させようという行為、こういうの中国もよくやってるよね。ただ、中国の場合は信用されないのに対し、アメリカのは信用される可能性がっけこう高い。両者の本質は同じなのに、発言力には雲泥の差がある。まあもともとの言語がもつ発言力の差以前に、アメリカの学者のほうが学問的な衣装をまとうのがはるかにうまいってのはあるけど。

とにかく、アメリカの学者ってだけで世界中の人が無批判に信用しすぎなんだよね。あいつらの根底は、アメリカ最高言いたいだけの人種差別主義者だってことをみんな知っておいたほうがいい。

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追記

似たような話題の本で名著と呼ばれるものは出ているようだ。ポメランツ『大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成―』がそれだ。名古屋大出版局というお硬いところから出ているのもいいね。

レビューを見ると

著者ポメランツは、ヨーロッパ中心の世界史の見方を退け、ユーラシアの東西で主要地域の生活水準は1800年ごろまでほぼ同じか、東アジアの方が高かったという。いずれもゆるやかな経済成長をとげ市場も発達していたのだが、それにともなう人口増大の結果、資源となる森林などの生態環境の制約に直面していた。そこから、まずイングランドが、次いで西欧が大きく逸れて独自の径路をたどるようになる、つまり、西欧の発展径路をスタンダードと見るのではなく、ユーラシアの東西で共通していたあり方を本来のものと見て、そこから西欧が「逸脱」したと捉えるのである。そして、西欧が、生態環境の制約を脱してこの径路をたどりはじめた要因を、アメリカ大陸からの資源の収奪に求め、イングランドがまず分岐した理由については、石炭つまり化石燃料が生産の中心地の近くで発見された地理的偶然性にあるとする。その意味で、イングランドや西欧がそれ以前から東アジアなどと比べて特別にすぐれた制度もっていたわけではない(制度が無関係だというわけではないが、「大分岐」を最終的に説明するものではない)という。

そらね。ちゃんとした研究書は普通はこういう結論になるものなんだよな。ま、この本は専門的すぎて退屈そうだけど。

同じ著書の『グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界』のほうが読み物として面白いみたいね。テーマもほぼ同じだし。