ビタミンCのブログ

ブロマガから移ってきました

ワタシの考える最強の教育システム

以前、学校はバカを作る、という記事を投稿した。これは、学校というシステムがいろんな問題を抱えていて、結果として教育という本来の目的を果たすことができないし、考える人間を育成することなどとても無理、という趣旨の記事だった。

幸か不幸か、これについていろんなコメントをもらい、いまの学校教育業界は考えさせる教材や教え方の開発に余念がないし、実際に実行されてきている、という話を聞いた。これはこれでとてもいいことではあるが、そういう話を聴けば聴くほど、逆に学校という制度そのものに問題があるというワタシの当初の考えは強固になっていった。

そこで、今回は、ワタシが考えた学校というシステムを介さない教育システムのブループリントを話してみたい。これは理想なのだけれど、どこまで実現可能かどうか考えるのは読者に委ねたい。いいですか?

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まず学校を解体する。学校がないかわりに、各地に小さな教室を作る。生徒は学校には行かないけれど、公認の教室が各地にあって、そこに通うことができる。近くに公民館などの公共の建物がない場合は個人宅を教室としてもいい。生徒は、外に出るのが嫌ならネット経由で自宅で学習してもいい。生徒は自分の好きな方法で学習することができる。

常勤の先生はいない。暇な(性犯罪歴のない)大人がいれば教えに行く。教える側は、教えた生徒の数と生徒からの評価に応じてお金をもらう(完全ボランティアもあり)。

学年ごとに生徒は、自分の学びたい分野を選ぶ。つまり、自分がほしいディプロムには今年度どこまで学ばないといけないかを知っておき、今年受けるべき授業とその総時間の目安を各自登録する。小学校では受けるべき科目が全員同じでもいい。中学からは選択できる科目に多少バリエーションがあってもいい。

学ぶ項目は、たとえば国語なら漢字、音読、文章作成みたいなのがあって、ある程度自分の自由に選んで進めていい。教材はネット上にあげておくので、誰もが使える。科目の内容とかおすすめの進展方法とかは別途動画で解説がある。補助教材はすでにネットに無限にあるので、教材に参照リンクをつけておく。

評価は一緒に学んでいるほかの生徒が行う。学習室に来ている大人がテストをしてもいい。悪い評価をもらった場合は何回もテストをやり直せる。期日までにどの程度の項目をクリアしておかないといけない、みたいな目安があるので、それを達成するように頑張る。

生徒は、学んだことをほかの生徒に教えることで評価をもらうこともできる。進展度の早い生徒がいればほかの生徒にどんどん教えて、その人数ともらった評価がそのまま記録される。生徒は人に教えることでより理解が進む。日本には賄賂の文化がないからこれでも機能するだろう。自分が学んだことを数年後に下の学年の生徒に教えても評価をもらえるというシステムがあれば、孤島とか、東京の生徒の少ない地域でも生徒が教師役を兼ねることができるので助かる。

とにかく、まず国が履修科目システムをネットで整備しておけばいいわけだ。これに国民全員登録しておいて、情報開示する相手や内容を選んでおけば、誰がどこまで進んでいるかとか、誰が誰になにを教えられるかとかネットでわかるわけだ。どういう仕事についている大人がどういうことをいつどれだけ学んだかも参照できれば見本になる。

授業の内容だが、たとえばこういうのがありえるだろう。英語は毎日一文完璧に暗記して発音できればOK。発声は誰か(一緒に学習する生徒や先生)が確認する。ラジオ英語講座の方式で、スキャットがあって、そのなかから一文一文暗記するのでいい。これは量こなさないと意味ないから、パスできないときでも次に進まないといけない。グループで学習するのが望ましい。

高校からは自分の進みたい分野に応じて科目を選ぶ。大学が入学に必要な科目と進展度を提示しておくので、大学行きたい人は大学入学目指して自分で科目を選べばいい。これでセンター試験はいらなくなる。余裕があって、仕事に役立つ科目を終了しておけば、大学で文系に行っても就職に苦労しない…かもしれない。

高校の科目はそこそこ専門的になるので、教えられる人というのは身近にいないかもしれない。なので基本は動画や通信教育で学ぶのでいい。で、ちゃんと調べて理解できたと思う人がほかの人に直接教える。高校からは理解度チェックする項目を科目ごとに増やしたほうがいい。

専門的な高校は、今までと同じように存在してもいい。工業や農業とかは設備もいるし事故もあるので、さすがにそのへんの大人では教えられないから。情報系や商業系とかはそれ系統のゆるーい塾みたいなものを作ればいい。

学習して認定される科目は、特定の教育過程に限定される必要はない。すべての科目は誰でもいつでも学習できるし、終われば認定される。教育過程とは関係ない一般的な科目もあって、料理とか、健康とかは誰でもいつでもカリキュラムを進められる。学べる項目はそれこそ無数にあってもいい。豆腐料理とか、エクセルとか、髭剃りとか、木工加工とか、糖尿病予防とか、鹿の解体とか。こういうのを周りの人から教わったり教えたりすることで、教育課程時代に築いた人間関係を維持したり、あるいは広げたりすることができる。憲法を変えて、「人に自分の知識を教えること」を国民の義務に追加しておく。

大学では授業があってもいいが、高校までとシステムは共通でいい。授業受けなくてほかの生徒に教わってもいい。教えた生徒は評価をもらう。

就職に関しては、会社や職種ごとに、どういう科目が最低限必要かということを提示しておく。文系みたいな総合職もいまみたいに大学名やコミュ力で選ぶので変化ない。

あと、履修科目システムと連動した就職システムを作る。生徒は自分のもっている科目でどういう仕事があるのかソートできるので、自分がどういう仕事を選べるのかわかりやすい。また、子供の頃から就職に関する情報に触れやすくなるので、結果、将来自分がどういう仕事につくのかイメージする機会がおおくなる。転職する場合も、どういう仕事につく場合はどういう科目を学ぶ必要があるのかわかるので便利だし、インフラとして便利。

部活なんかは地域でスポーツコミュニティを作ればいい。マネージャー制度は廃止。スポーツも登録できる科目にいれておく。なるだけ多様なスポーツをある程度できるようになれるほうがいい。夏は泊まりがけの活動がいくつもある。あ、これだけはワタシの理想論じゃなくて、たとえばフランスではリアルにこういう制度になっている。地域のスポーツコミュは男女混合どころか、年齢層も自由。少しだけお金がかかるが、親は子どもにスポーツさせるみたいだね。

大人はそれぞれ履修してきた科目があり、それがすべてネットのシステムに登録されているわけだ。その情報をもとに、誰もが何かしら誰かに何かを教える権利をもつ。教育学部出身の専任の教員というのは必要ない。義務教育課程で、「ヒトにものを教える方法」みたいな科目を組み込んでおけば、専門の講師を特別な過程で育てる必要はない。あとは、教えた経験とそれに対する生徒からの評価もネット上に蓄積されるので、人気講師とそうでない講師が自然と選別されていく。

教育する側の参加者が少ないのなら、いまの裁判員制度みたいに、強制的に参加させるのでもいい。ただしある程度の報酬は払う。

それでも教える側が足りないなら、すべて民間企業に任せる。若い時期、たとえば6歳-22歳までは、年間40万円分までどこか民間の施設で授業を受けられるという制度を作る。これについての細かい制度は省略。

ということでまとめ。

このシステムの利点
1.勉強できる人間がモテるという制度を小学生から作ることができる。
2.子どものいない大人でも地域の自習室に行けばJSやJCとふれあうことができる(JKに教えるには高学歴でないとダメ)。

3.一つの学校に通う必要がないため、イジメがなくなる。
4.今までの教育システムだと、結局はどの大学に行ったかということがこれまでの過程の総評価となるが、これだと、それぞれの過程でどういうことをどれだけ、どのように学んだかということが分かるので、そのことが評価されやすくなる。
5.生徒が若い頃からなにを学習すればどういう仕事につけるのか、ということをイメージしやすくなる。これは勉強のモチーベーションを上げるはず。
6.学校における先生による生徒の支配、といういびつで閉じた社会を持たなくてすむ。
7.生徒と生徒のかかわりが第一になるので、生徒同士がもっと仲良くなれるし、友だちも増える(これいまの若者はヤバイらしいねボッチばっかで)。
8.国による教育の支配を終わらせることができる。これにより、地域の大人が子どもを教育するという共同体の本来の姿をとりもどすことができるし、学校や教師に教育のすべてを押し付けることもなくなる。
9.地域の教室に大人が出入りすれば、近所の人間はみな顔見知りになる。これで、あやふやな不審者情報に怯える回数も減るし、地域のつながりが生まれるので犯罪も減る。
10.一人の子どもを複数の大人や友だちが見ることになるので、虐待やネグレクトという子育てに関する問題の早期発見につながる。
11.科目数は無限にある(自由選択科目は民間が作成してもいい)ので、生涯学習をうながすことができる。大人も地域の大人から学べるので、大人同士の交流にもなる。
12.子どもの教育という大事な仕事を大人は思い出す。誰もが多かれ少なかれ教育に携わることで大人は大人としての尊厳を取り戻す。
13.「あ? こども教育するから土日はでてこれない? じゃあクビね」というブラック企業をみんなやめるのでブラック企業がつぶれる。
14.一人の教師に権限が集約することを防げるので、教育方法が多様になり、生徒も「だれになにを教わった」ということを一緒に覚えるので記憶が固定するし、記憶内容も増える。
15.自主的な学習がすべてなので、子どもは嫌でも自主的かつ自律的に勉強しないといけない。結果、自主性と自己管理能力を子供の頃から養える。
16.自由に勉強をすすめていいので、「落ちこぼれ」が生まれないし、他人と成績を比較しなくてもいいので、劣等感を抱かなくてもいい。
17.子どもは自分で自分の将来をみすえて学ぶ科目や進む先を自分で選ぶようになるので、自分の人生により責任が持てるようになる。
18.学校を解体した結果、コミュニティの教育資源に誰もが自由にアクセスできるようになるので、おとなになってからでも学び直しや学び足しを自由にできるようになる。
19.共同体の絆が強まり、助け合いの精神が生まれ、結果的に多くの人が救われる。

このシステムの欠点
1.日本のマンガやアニメの土台である学校生活がなくなる。これなくしてはほとんどストーリーとして成立しないんだよなあ。
2.まあ、日本ではこんな大幅な改革を必要とする制度導入は無理。むしろ途上国で教育インフラがない国とかで実験的に導入するのはありかも。モンテネグロとか。
3.自主的でない子どもは自分で勉強できないかもしれない。ただ、地域で子供同士のつながりがあれば、最初自主的でない子どもはほかの子ども見て自分で勉強することを学ぶかもしれない…
4.自己管理能力がない子どもは勉強始めても最後までやり遂げられないかもしれない。ただ、地域で子供同士のつながりがあれば(以下略)
5.学ぶ科目のひとつひとつの項目について達成度をチェックされるので、高校からはちゃんと全部終わらせるのはかなり難しいかもしれない。ま、大学ごとに良い評価70パー以上で合格とかにすればいいのだけどね。これは今の制度とほぼ同じだ。
6.このシステムは単純な通信教育になってしまうと機能しない。地域の私的/公的なサポートが絶対に必要だ。
7.周囲に賢い子がある程度いる地域はいいけど、バカばっかの地域の場合キツイ。が、ワタシの生まれた地元でさえも勉強のできる生徒はけっこう周囲にいたので、日本であるかぎりそんなに問題ないはずだ。離島以外は。
8.このシステムだと、子どもの時からある種の人気システムにすべての子どもが組み込まれることになるので、人気のない子どもは最初から最後までハードモード。ただしこれは今と変わらないという見方もできる。

以上。お付き合いありがとうございました。