ビタミンCのブログ

ブロマガから移ってきました

ナ・ホンジン監督『チェイサー』2008年

韓国映画はミニシアター系の映画が多い。これもその系統で、連続殺人犯もの。ただし、普通のシリアルキラーものと違うのは、比較的冒頭で犯人が捕まることだ。犯人の家にはまだ息のある被害者がいるが、犯人は住所を言わないので突き止めることができないし、警察も本気で探さない。唯一、その被害者の女性(娼婦)の雇い主である元警官だけが彼女の居場所を探そうと必死になっている。

この、無能でやる気のない警官と、たった一人で事件を解決しようとする主人公という構図は、ハリウッド映画で何度も繰り返されてきたものではある。しかし、この韓国映画では、主人公は決してヒーローではない。裏社会の住人であり、むちゃくちゃ暴力的で、泥臭い。このへんは日本のマンガに似ている。

犯人はのらりくらりと追求をかわし、結局釈放されてしまう。普通は、この犯人が一番憎いと観客が思うようにこういう映画は作られる。しかし、韓国映画では真の悪役は警官であり、検事である。朝鮮では古来より、権力のある一部の人間(リャンパンなど)が民衆を奴隷扱いし、搾取してきた。そういう傾向はきっと今でも残っているのだろう。韓国映画において権力者は、必ずといっていいほど、威張り散らしているわりには無能というふうに描かれる。この映画でも同じだ。ここで出てくる警察署長や検事は、ときに犯罪者よりも醜悪で、邪悪に描かれる。よく注意して見てほしい。観客の怒りは犯罪者よりもむしろ無能な警官に、無能な権力者に向けられるように作られている。そして、そうした筋書きの映画が支持され、ゆえにそうした映画が作られつづけるのが韓国という国なのだ。

ところで、この話は実際の事件を題材にしているらしいが、そういう名目なだけで、ストーリーはすべてフィクションである。実際、ドラマとしてとてもよくできている。と言うより、できすぎているほどだ。無駄な部分がなく、お手本のように完成されている。しかも、監督はこれが劇場映画は処女作らしい。その事実にも、韓国映画の成熟が見て取れる。が、私はこの映画と『殺人の追憶』をどうしても比較してしまう。2003年(日本公開は2004)の殺人の追憶』は、不気味さとコメディがないまぜになったポン・ジュノの傑作だ。というより、今まで作られた韓国映画のなかで一番の映画である。殺人の追憶と比べると、『チェイサー』はただのよくできた映画に見えてしまう。いろんな映画を見れば見るほど、『殺人の追憶』が映画史的に見ても特異な、傑作というレベルを超えた存在として意識されてしまうのだ。