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日本の思想4 日本人の倫理の基盤

さて、これまで日本における人間関係の構造について、いわば外的な面を見てきた。次に、日本の人間関係の内的な面を見てみよう。

日本人はつねに人の感情を傷つけないことを第一に考える。これは、単なるビジネス上の関係も、個人的な関係のときも同じだ。表に出されない人の感情を感じることに、日本人は世界一長けているのは間違いない。逆に言えば、日本人は世界一傷つきやすい。よく日本人がパリ症候群になるのは、フランス人の気の使わなさにショックを受けるからだ。日本で人にしてはいけないとされていること、それは世界基準ではないのである。

日本人の倫理、それは、人の感情を傷つけるのを避けること、あるいは人の意を汲むこと、にある。日本人がこの倫理を共有している結果、日本は世界で最も安全な国となっている。世界平和度指数の2012年版ランキングでは五位だが、2011年にはアイスランドなどに続いて3位だった。ちなみにフランスは40位。アメリカは88位で中国が89位。
http://www.newsclip.be/news/2012612_034794.html

2011年、震災後に三位というのは、欧米先進国ではまあありえない結果だ。震災後に政府はパニックになったが、人々は比較的落ち着いていて、買い占めが起きたくらいで暴動は起きなかった。世界は日本に驚いた。こんなことが可能なのは日本だけである。多くの日本人は、近代になっても、まるで部族性社会において生きているかのような倫理観を持ち続けている。その理由は、日本人がもともと非常に社会的道徳を大事にするからというのもあるが(日本人の多くは、震災で完全に破壊されたコンビニで食料を調達することも犯罪行為だと思った)、日本人が小さな頃から人の感情を傷つけないことを第一にして生きているからだ。ちなみに、巷でよく言われる小市民的倫理、「人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」というのは日本的倫理ではない。そもそも、人に迷惑をかける範囲というのが日本では広すぎて意味をなさない。

日本人の倫理観は、日本の平和さと治安の良さに貢献しているが、日本人を心の底で強く縛っているものでもある。たとえば、日本人が集団内にいて、空気を読め、と言われる。これは自分のしたいことや話したいことよりも、集合的感情や気分を壊さないことを第一に考えろ、ということである。さらに日本人は仕事を自分から辞めることを躊躇することが多い。これは、辞めればほかのメンバーに迷惑がかかる、つまり集団の気分を害すると思うからである。

日本には基本、個人の自由がない。それは、日本人が自分より集団を優先しがちで、さらにそのことをほぼつねに期待されているからだ。日本では、個を殺し集団に貢献できることのできる人が優れているとされる。日本にいてはほんとうの意味で気づくことはないが、これは欧米とは完全に正反対の倫理観である。


今や多くの日本の会社は、人とのつながりを保証する場であることをやめ、日本人の会社への忠誠心を食い物にして搾取する非情な機械へと変貌している。しかし、日本人は集団への帰属をやめることはないだろう。会社が連帯感を満たす場でなくなれば、ほかの代わりとなる場を探せばいいだけだ。逆に、その、かわりとなる場が見つからない場合、日本人の倫理感というのは失われるだろう。これは、日本社会の不安定化を意味する。すでに一部、とくに大都市などではそうなりつつあるようにも思える。