ビタミンCのブログ

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アメリカB級映画の魅力

日本でNETFLIXサービスが開始したのを記念に、今回は映画の話題。

外国の映画をあなたはどう見ているだろうか? ストーリーだけを追って見ていないだろうか? それではもったいない。映画には実にいろいろな情報がつめこれていて、1シーンとして適当にとっていない。出てくる人物のキャラ、その服装、その部屋、会話、声のトーンや表情、話すときの場所、アングル、切り返しの仕方、カット、カットの長さ、被写体までのカメラの距離、などなど、映画のすべての要素には必ず何らかの意味がある。ということをまったく知らない人は、『映画の基本』みたいな本を読むよりも、ト書きまで全部書かれている映画の脚本を読めばいい。

さて、では、どうやって映画を見るか。ということでは話が大きすぎるので、どうやって外国映画を見るか、ということを今回は話したい。外国映画の魅力は、日本ではない文化のもとで生きている人物が、日本人では絶対ありえない会話や行動をとるのを見て楽しむところにある。もし、外国映画で出てくる人物が日本人のように行動するのであれば、それはアニメやマンガと変わりがない。そうではないところに外国映画の魅力がある。

たとえば、キェシロフスキの『愛に関する短いフィルム』のなか(だったと思う。もしくは『デカローグ』のほうだったか)で、主人公がアパートの住人の女性に牛乳をもらうシーンがある。日本人なら、まあ知らない人に牛乳あげるってことをそもそもしないだろうけど、ここはポーランド。で、日本人ならたとえそれが知らない人でも、喉が乾いているかわいそうな人に牛乳あげる時に、絶対微笑みを浮かべるはず。でも、このアパートの住人の女性は無表情+ほぼ無言で、主人公が牛乳飲み終えるまで待っている。人間関係の奥底にあるさめざめしい空気がむき出しででる、それが外国映画だ。

外国映画では、日本人との人間の違い、それをよく観察することが楽しいのである。その際、ストーリーはどうでもいい。というか、平凡な映画ほど、人間の描き方がその国基準でありきたりになるので、その国でどういう人間が普通なのかをよく観察することができる。これがB級海外映画の魅力だ。とくに、アメリカ作(必ずしもアメリカが舞台ではない)のB級はそういう傾向が強い。とくに有名作品の続編なんかでその傾向が強い。『キューティーブロンド2』とか『ゴール2』とか。3になるとさすがに駄作すぎて見る価値がないの注意。上の2タイトルではそれが顕著だ。あ、ここでいうB級とは必ずしもアクション映画のことじゃないからね。アクション映画を全部除外するわけじゃあないけど。ここで言うB級映画とは、どっちかというとヒューマン系やコメディ系の映画ね。要するに日本であんまりヒットしないタイプの映画。

こういうB級映画があんまり日本人受けしない理由は、人物の行動が日本人になじみくかったり、キャラクターの背景が理解できなかったりするからだ。だが、その部分こそに、外国の文化というものが色濃く出ているのである。『ゴール2』で言えば、主人公の彼女がどうしようもないことでグズグズ言って怒ったりとか、主人公の母親が父方の叔父にレイプされそうになったので逃げて結果的に主人公を置き去りにすることになっていたりとか、そういうところ。

基本、外国映画は、感情がどうしようもなく制御できなくてブチ切れた行動を起こしたり、あるいは逆にいい結果になったりする、というような展開が多い。これ、ギリシャ悲劇以来の伝統。そこんとこは、日本のドラマツルギーにはまずないところだ。利害やプライドのかかった議論の場面で、とにかく相手を説得してやり込める、というシーンも多い。アメリカ人というか欧米人は相手を説得することに異常な快感を感じる人達であるようだ。ゆえにアメリカ映画には法廷シーンが異様に多い。

この2つの要素がミックスになっている映画があれば、それはアメリカ的にむちゃんこいい映画なのである。たとえば、タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』では、冒頭で賞金稼ぎのドクター・キング・シュルツが農場主カルヴィン・キャンディと出会い、彼の奴隷の扱い方に苦言を呈する場面がある。二人とも一見冷静だが、一触即発の場面だ。でも、まずは議論で物事を解決しようとする欧米的な文化がここに出ているわけだ。そしてその後、例によって怒りの爆発になるわけだが、そこに至るまでのぎりぎりの会話ややりとり、それがものすんごく細かく丁寧に描写されているのに注意してほしいわけだ。おっと、ついついB級でない映画を例にあげてしまった。

まあでも、A級映画でも同じだ。基本、A級でもB級でもアメリカの典型的な映画では、まず事件が起こる映画をのぞいて、観客に主人公を見せるシーンのあと、家族や友人との会話があって、それから議論の場面、主人公がなんらかの行動をとる場面と続く。コーエン兄弟の西部劇『トゥルー・グリット』なんかがそうだ。この映画はずば抜けた傑作なのでぜひ見てほしい。ここ、主人公の14歳の少女が冒頭で馬屋のおっさんと議論して勝つところがちょっとしたハイライトになってるんだよな。アメリカ映画(A級のほう)にはほんとーにこういうシーンが多い。

で、A級じゃないB級映画の方では、典型的なキャラが典型的なストーリーのもとで、典型的な恋をしたりするわけだが、その典型的な恋の展開の仕方がやはり日本のそれとはぜんぜん違う。日本のラブストーリーは互いが恋心に気付くまでに時間がかかるが、アメリカものでそれはない。出会って四秒とは言わないが、比較的さくっとくっつくものである。大変なのはつきあい始めたあとで、ケンカしたり浮気したりすれ違ったり遠距離になったりするわけだ。そういう、互いの感情のずれ、そこに人間関係のどうしようもなさがでるわけ。というか、二人の感情の動きが必ずしも一致しないことのどうしようもなさみたいなのが好んで描かれる傾向にある。日本の場合、恋愛ものは基本モノローグなので、これは大きな違いだ。

まあ、ほかにもいろいろと違いはあるが、いちいち説明しきれない。が、海外ものを楽しむコツは、同じ人間として見ることだ。どこか遠い国知らないし、きっとこれから知ることもない人間のおりなす物語としてではなく、自分の友人の話として見ること、これにつきる。基本、海外映画を心底楽しめる人はこれができている。いったん海外に住んだことのある人はまあ自然とこれができるのだが、日本から出たことのない人も意識次第でこれができる。要するに、身近で生々しいことと捉えられるかどうかなんだよな。

映画の手本になっているのは実在の人物に実在のお話なんである。そのリアルさをどれだけ受け止められるかどうか、これがアメリB級映画楽しめるかどうかの境目なのである。A級映画はストーリーだけで楽しめれちゃうからね。

ちなみに、アメリカ映画じゃない国のB級映画はけっこうつまんないのでやめといたほうがいい。アメリカ映画以外のB級映画ってコメディ映画になるんだけど、笑いの質の程度がひどくて見れないものが多い。とくにフランスとか。