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「ゆとり教育」は間違っていたのか

ゆとり教育」ってのは1998年度から本格的に開始された以下の教育政策を指す。これの問題は主に、「学習内容及び授業時数を3割削減」にある。確かに、それまで小学校などでは同じ内容を数年間にわたって教えるというような無駄があったので、多少の削減は問題ではない。しかし、中学・高校でも内容の三割削減というのは失敗だった。というのも、授業で足りない部分を学生は塾に通うことで補うようになったからだ。子供を塾に通わせる余裕があるかないかで、いい大学に進学できるかどうかがわかれる社会となってしまった。

しかし、義務教育に限っても、学校で学ぶすべてのことを学ぶ必要があるのかというのは正当な疑問かもしれない。はっきり言うと、どんな高級な仕事につく人間でも、学校で学ぶすべてのことを使うような人はほとんどいない。学校で教えることで仕事で絶対に必要なことってのは最低限の国語能力と最低限の数学能力だけで、あとは仕事の内容によって+生物とか+工学だったりするだけだ。社会にでて必要なことというのは学校で学ぶような知識よりも、自分で必要なことを調べて学ぶ能力や意欲だ。

最高の教育とはなにか、ということは何百年もまえにきちんと考えられている。最高の教育とは、自分で学ぶことを学ばせるということだ。自分で意欲を持って学んだことを人は忘れない。授業で先生が何の熱意もなく教えるような内容は誰もがすぐに忘れる。

よって、ゆとりか詰め込みか、というような議論は意味が無い。今まで教えていたことを削減する必要はないが、学生が主体的に学べるような仕方で授業をするべきだ。もっとも、いちいち生徒が自分で調べるような授業は時間がかかるので、今まで詰め込みで教えていた内容を教える時間は絶対なくなる。そこで、生徒の学習の進展度に応じてクラス分けをする、優秀な学生には寮付きの学校に招待する、などの対策をすればいい。

ゆとり教育」の最大の失敗は、きちんとした教育改革をする機会を国が失ってしまったことにある。「ゆとり教育」のせいで、教育といえば「ゆとり」か「詰め込み」か、という図式でのみ語られるようになってしまった。しかし教育の真の問題はそこにないのだ。真の教育の課題とは、人のうちに好奇心や向上心を生み出さすことにある。義務教育で教えている内容そのものはもともとそんなに間違っていない。問題は、それをどう教えるかにあったのだ。