ビタミンCのブログ

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国立の「文系」が終わる日

国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的“大学改革“」という記事を読んだ。安部首相は国立大学から人文社会学系の学部を消滅させようとしているらしい。中国とか発展途上国の人間が人文社会学の価値をわからずに廃止するならわかるが、日本でこうしたことが行われようとしている。

とはいえ、この記事へのコメントでこれについての意見を見たが、まともな意見を持っている人は一人もいなかった。つまり、事実として、この国には人文社会学系の価値を知っている人間はほとんどいないということだ。これが事実であるのなら、国費で運営される国立大学で人文社会学系を廃止するという意見に誰も反対しないか、反対するに有効な意見を出せないことになる。結果として、人文社会学系学部の廃止はとてもスムーズに進むだろう。

上の記事でも紹介されている室井尚氏のブログによると、教員の側にもこうした国の政策に対抗しようというのが少ないらしい。度重なる間違った大学改革に教員も疲弊しているか洗脳されているかのどちらかということらしい。学生の側も同じだ。

ぼく個人の感触からしても、いまの人文社会学系の教員たちのあいだに、彼らのなしている教育が国と人間にとって本来的に重要だと言えるような人材というのはほとんどいない。これはあくまでぼくの感触にすぎないが、彼らの多くは西洋の学問を輸入するか、その著作や理論を分析するばかりで、現実の問題に向き合っていない。もちろんいい教員もたくさんいるが、残念なことに、彼らとて、自分の教育がどれほど意味があることなのか社会に物申すというレベルにはない。大学というのはすでに終わっている、それがぼくの感触だ。

今こそまだ大学というものが就職のための武器として活用されている。ゆえにこそ大学に社会的存在価値があると思われている。だがそのうち、そうした大学の価値はなくなっていくだろう。これから、就職は例えば自分のツイッターでどれだけフォロワーがいるか、自分のブログにどれだけアクセスがあるか、というので決まるようになっていくだろう。そのとき、大学の価値は大きく変化し、国抜きにしても人文社会学系学部の価値というのはなくなる。大学という権威を失った教員は、一人ひとりが自分の教えの価値を社会に訴えないといけなくなるだろう。彼らの講義にほんとに価値が有るのなら、ネットで大学の給料と同じくらいのものを稼ぐのはそう難しいことではないはずだ。

人文社会学系の大学はもう終わる。これが変えようのない変化だとすると、大学以外の場に人文社会学系の知識を伝える場を作っていくしかない。というか、これは日本の国立大学なんていう腐った場から人文社会学系が開放されるチャンスだと考えたほうがいい。ネット上に自分たちで新しい大学を作って、生徒を募集すればいいのだ。ほんとうに価値のある講義を提供できるのなら、生徒は必ず集まる。