ビタミンCのブログ

ブロマガから移ってきました

アニメ映画『planetarian~星の人~』感想

プラネタリアンというアニメ映画を見た。私も、1つの作品を最後まで作り上げることの苦労を想像できないわけではないので、ある作品を駄作と言うことをためらう気持ちがないわけでは無いが、この作品は現在公開されているほかの傑作アニメ映画と比較して、駄作と言い切ってしまってもいいと思う。

とは言え、遊牧民が羊を1匹解体した後、骨や川まで全て使い尽くすのと同じように、映画好きである我々も、1つの映画を見た後は、それがそれが駄作であろうが、全て使い尽くしたい。むしろ駄作の方が何がダメなのかどうして面白くなかったのかということを考えると、良作よりも勉強になるものである。

そこで、プラネタリアンのどこが良くなかったのかということについて少し書いてみたい。

1 .アクションが弱い

このアニメには、冒頭と終盤にアクションシーンがあるが、それが弱い。と言うのも、アクションシーンに必然性がなく、主人公が決して死なないのがわかっているので、というか、死なないように物語が進むしかないので、緊迫感が全くない。主人公を攻撃するロボットの弾が当たる事は決してないわけだ。なので、描写もひどく適当である。

終盤のアクションシーンは、筋に関係がないと言う訳では無いが、主人公そのものが危険にさらされるわけではないので、アクションそのものの魅力が描かれないわけだ。これを防ぐには、主人公が物語上アクションを必要としなければならない。


2. 登場人物の感情が定型的すぎる

この映画で何よりも醜悪なのは、登場人物の感情の表出が、あまりにもありきたりでつまらないことである。30年前のアニメならこれでよかったのかもしれないが、今更いかにもな反応をそれぞれの登場人物がするのを見るのは苦痛だ。例えば、老人になった主人公が女神とされているロボットを見て、おお、等と驚いた表情をして前に進む、こんな演技はただただ古臭い。ただ、皮肉なことに、感情のないロボットの演技だけはこの映画にありがちな退屈な感情の表出がなく、その分まだ見られた。

3.ドラマツルギーの欠如

全体的に言える事は、この映画には物語を引っ張っていくドラマツルギーが弱いことだ。出来事が2つ並列的に描かれるだけで、それを結びつけるしかけがない。まるで、脚本のど素人が描いたような感じだ。

一応、主人公がロボットとの出会いをきっかけに星の人となって老人になるまで、星のことを語り継いできたという筋はあるのだが、それでは二つの大きなシーンを結びつけるにはあまりにも弱い。そもそも、世界設定が特殊なので、物語の世界では、星に対する憧れやこだわりが異常にあること、それが共感できないのである。

4.美的効果の弱さ

そして最後に、これはとても残念なことなのだが、このアニメの中で最も視覚的に美しいシーンは、プラネタリウムの上演の光景である。しかし、プラネタリウムと言うものは、確かに美しいものだが、誰もが既に1度は見たことがあるものであり、アニメの世界でわざわざ見せるようなほどのものでは無い。

というわけで、40年前なら、つまり宮崎駿が出てくる前なら、このアニメで私たちは十分に満足していたであろうが、今の時代には古すぎる。

もしかして勉強になるかと欠点をあげてみたが、あげて見れば見るほど、この映画の弱点がどうしようもないほど、致命的であるように思われる。上に挙げた4つの事は、アニメを作る上では、真っ先に克服しなければいけない弱点、というより、それこそを見所にしなければいけない点であり、そこがどれも弱いというのはちょっとお話にならない。

少なくとも、今年になって私が劇場で見た、傷物語君の名は。や、聲の形などは、どれも上で挙げたような弱点は無い傑作ばかりだった。正直、今の時代に、この程度のアニメがまだ作られているというのは結構衝撃である。終わり